江蘇省
南京
トウ廷テイ墓
阿片戦争
阿片戦争の際、林則徐とともに主戦論を主張した元両広総督トウ廷テイの墓。最初、 アヘン緩禁論者だったトウ廷テイは、のちに徹底した厳禁論者となり、阿片戦争勃発後はミン浙総督に転じ、 1840年7月、軍を率いて、厦門に侵入してきたイギリス艦隊を撃退した。しかし、 当時宮廷内で実権を握っていた対英投降派によって林則徐とともに伊犁(現、新疆自治区伊寧市 )に左遷された。 その後、いったん陜西巡撫に返り咲いたが、1846年、任地の西安で死去した。南京市の仙鶴門外、 霊山の麓にある。
太平天国歴史博物館
太平天国
太平天国に関する資料を集めた歴史博物館。天王洪秀全の胸像をはじめ、洪秀全の玉衣や玉璽、 また太平天国軍が使用した大砲など当時の遺品や資料が数多く展示されている。なお、 当所は清朝なかばまで「瞻園」と呼ばれていた庭園で、太平天国時代、東王楊秀清の宮殿(東王府) として使われていた。中華門の北、中華路に近い瞻園路128号にある。2、4、33路バスで三山街下車。
太平天国天王府遺址
太平天国
太平天国の王宮(天王府)跡。1853年、南京に入城した太平天国軍は、 元清朝の両江総督衙門を拡張・整備し、そこを天王府と定めた。当時の記録によれば天王府は、 外城、内城の二重の城壁をもつ壮大な宮殿で、なかでも内城は、金龍殿とよばれる壮麗な宮殿を 中心に数々の美しい庭園がめぐらされ、そのありさまはまさに「地上天国」を思わせたという。 だが、天京陥落の際、清朝軍による徹底的な破壊を受け、当時の建物はほとんど残されておらず、 わずかに残るのは、当時天王洪秀全が、諸王をあつめて会議を開いたと伝えられる石舫(石造りの船)や、 金竜殿および西花園などいくつかの建物と庭園のみである。市内新街口の東北、長江路292号にある。
堂子街太平天国壁画
太平天国
市内西南部、莫愁湖の手前の堂子街に、太平天国時代、東王楊秀成の役所だった建物があり、 その壁の一部に当時の壁画が残っている。壁画は全部で18幅あり、そのうち16幅が比較的保存がよく、 細部まで見ることができる。なかでも「防江望楼」と題された絵は、 天京の防水事業と都市の繁栄ぶりが描かれており、歴史資料としても価値が高い。 なお16幅の壁画のうち8幅は淡彩の水墨画だが、あとは8幅は鮮やかな彩色画で、 いずれも山水を題材にしたものである。市内西南部。莫愁湖の手前、漢中門の堂子街74号にある。