江西省
南昌
八一南昌起義総指揮部旧址
1927年8月1日、共産党は、蒋介石の反革命クーデターによって中断した国民革命をやり直すため、 南昌で独自の武装蜂起をこころみた。ここはそのさい周恩来、朱徳、賀龍らが前線総司令部をおいた建物で、 当時南昌一の規模を誇ったホテル、江西大旅社のなかにある。館内には、総指揮部がおかれた喜慶堂をはじめ 周恩来の執務室や医務室などが復元され、展示コーナーでは八一蜂起の歴史を体系的に紹介している。なお 八一蜂起は、中国共産党がみずからの軍隊を持った記念すべき戦いでもあり、現在中国ではこの日を建軍節 として祝っている。中山路265号。八一公園の西にある。2路のバスで「洗馬池」下車。
【関連史跡】人民広場の南端には八一起義記念塔がたっている。
江西省革命烈士紀念堂
土地革命期(1927〜37年)に革命に殉じた江西省出身の兵士300人あまりを中心にその闘争歴や 遺品などを展示している。三階建て、高さ22メートルの建物で、1953年の落成。正面ホールには 「共産主義是不可抗拒的!星星之火可以燎原!死難烈士万歳」という毛沢東の題詞を掲げている。八一大道の なかほどにある。
賀龍指揮部旧址
八一南昌蜂起のさい賀龍率いる国民革命軍第20軍の指揮部が置かれた場所。もともとキリスト教会 とその付属中学校の建物だったが、ちょうど夏休みで教師も学生も不在のため、参謀部と一部の部隊が ここに駐屯した。蜂起のとき、剛胆で鳴る賀龍は、中庭の石段に立ち、現場から200メートルと離れていない 戦闘の指揮をとったと伝えられる。
朱徳同志旧居
八一蜂起当時、朱徳が住んでいた建物。八一蜂起の前夜、周恩来がここに投宿し、朱徳と蜂起計画を練った。 1階の北側が朱徳の部屋で、周恩来が泊まったのは庁堂と呼ばれる部屋。また2階には郭沫若が滞在した部屋 もある。八一大道のつきあたりの手前を西へ入った花園角2号。八一公園と軍官教育団旧址の中間にある。
軍官教育団旧址
南昌蜂起の母体となった革命軍将校を養成した士官学校跡。国民党のもとで南昌公安局局長に任ぜられた 朱徳によって創設されたもので、正式には、国民革命軍第3軍軍官教育団と呼ばれた。名目上は国民党軍の 幹部を養成するための士官学校であったが、実際には中国共産党の指導下にあり、南昌蜂起のさいは、蜂起軍 の中核として大きな活躍をした。場所は、八一大道のつきあたりの手前を西へ入ったところ。八一公園の近く。 朱徳同志故居も近い。
南昌起義紀念塔
八一南昌起義を記念して建てられた塔。方形で高さ45.5メートル。1977年の建造。八一広場の南端にある。
八一公園
もとの湖浜公園。南昌蜂起のさい激戦地となった場所であるため、新中国成立後、これを八一公園と改称した。 長征路のなかほどにある。
葉挺指揮部旧址
南昌蜂起のさい、葉挺の率いる第11軍の指揮部が設けられた場所。当時の心遠中学の校舎だったところで、 階上に執務室・会議室・電話交換室などが置かれ、階下が護衛部隊の詰所として使われていた。百花洲の 東湖のそば、第2中学の構内にある。
萍郷
張家湾軍事会議旧址
1927年9月、秋収蜂起をめざす毛沢東は、ここで仲間とともに計画を練り上げ、蜂起の具体的な日時や 進軍コースおよびスローガンなどを決定した。もとはこのあたりの地主が所有する建物だったが、 22年9月に労働者がストライキに勝利した後、労働者の学校となった。秋収蜂起の前夜、 農民軍の一部がここに駐屯したといわれる。江西省西部、萍郷市の安源鉱区の東端、工人倶楽部の近く。