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辛亥革命時代別観光 辛亥革命

北京

孫中山逝去記念堂・孫中山行館

辛亥革命の指導者、孫文臨終の建物。1924年、第2次奉直戦争後の混乱を収拾するため、「北上宣言」を発し、 広州から北京へ向かった孫文は、途中病に倒れた。肝臓ガンの末期であった。いったん北京の協和医院に入院したものの、 死を覚悟した孫文は協和医院を出て、ここで最後の日々を過ごした。だが、病状はしだいに悪化し、翌年3月12日朝、 宋慶齢夫人はじめ多くの友人が見守るなか、「革命いまだ成功せず」の言葉を残して59年にわたる波乱の生涯を 閉じた。建物は現在記念堂として一般公開されており、内部には死の床となった寝室や、「孫文遺嘱」 を展示した応接間などが残っている。市内東城区張自忠路23号。故宮の東北、地安門東大街と交道口南大街が交差する 一角。崇文門から出ている108路トロリーバスを利用するのが便利。

孫中山紀念堂

北京で死去した孫文の遺体は、当初、市内の碧雲寺に安置された。ここはその碧雲寺の 一部を改装して紀念堂と したもので、堂内には孫文の胸像とソ連政府から寄贈された棺が置かれている。堂内には孫文の「ソ連への書簡」 をはじめ、辛亥革命に関する多くの文献・資料が展示されている。北京市香山の碧雲寺にある。

協和医院

天津で肝臓ガンに倒れた孫文は1925年1月26日、当時北京最大だったこの病院に入院した。だが すでに末期症状に入っており、治癒は不可能と診断された。現在、首都医院という名でも呼ばれて いる。北京市東単北大街。

中山堂

孫文の死後、一時その遺体を安置したことがある。もとは皇帝が休んだり、雨中で祭祀をしたりするのに使った建物で、 市内中山公園内にある。

江蘇省

南京

中山陵

孫中山(孫文)の陵墓。国民党内で孫文の衣鉢を継いだ蒋介石が3年の歳月をかけて建造させたもので、 1929年の完 成。3000ヘクタールにもおよぶ広大な敷地をもち、そのほとんどが鬱蒼とした山林で 占められている。参道の石段は全部で392段あり、頂上から振り返った時の眺めがまた素晴らしい。頂上の 墓室には孫文の臥像とともに遺体を納めた棺が安置 されている。南京市の東郊、紫金山の中腹にある。9路のバス。

孫中山臨時大総統弁公原址

辛亥革命直後に発足した中華民国臨時政府の大総統官邸として使われていた建物跡。現在、 孫中山臨時大総統弁公原址として一般公開されている。東側にあるのが孫文の執務室で、 壁には孫文自筆の「奮闘」の書が掲げられている。西側は大会議室で、1912年1月1日に孫文が 臨時大総統の就任宣誓式をおこなった場所であるため、別名宣誓庁とも呼ばれている。また孫文と その家族が住んだ建物も残されている。なお、ここは11940年に発足した日本の傀儡政権、 汪兆銘の南京政府の総統府跡(偽総統府と呼ばれる)でもある。長江路292号。天王府跡のとなりにある。

粤軍陣亡烈士墓

辛亥革命の帰趨を決した南京攻略戦では、張勲率いる清朝軍と粤(広東省)軍との間で激しい戦闘が行わ れた。その際、戦死した広東軍兵士たちがまつってある。孫文の筆 になる「建国成仁」の墓碑銘が立って いる。市内莫愁湖公園内にある。

南通

南通博物苑

清末の民族資本家で立憲派の指導者でもあった張謇がつくった中国最初の博物館。歴史文物の他、 自然科学の標本も数多く展示されている。市内南濠河の河畔にある。

揚州

熊成基墓

熊成基は、揚州出身の革命家で光復会会員。1908年、安慶で蜂起を試みたが失敗。 その後、 1910年にハルピンで海軍大臣載洵の暗殺をはかったが、失敗し、処刑された。痩西湖畔の蜀崗の中峰の万松嶺にある。

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