遼寧省
大連
満鉄本社
南満州鉄道株式会社、通称「満鉄」は、日露戦争直後の1906年、ロシアから引き継いだ鉄道利権をもとに発足した 民間の鉄道会社である。だが、その実態は、たんなる鉄道会社ではなく、インドにおけるイギリスの東インド会社と同様、 植民地の資源収奪を目的とした国策会社にほかならかった。したがって、その業務範囲も鉄道経営に限らず、鉱山開発から、 製鉄業、さらに水道、電気、ホテル業と幅広い分野におよんでいた。また付属の調査部は当初、植民地経営に かかわる学術的な調査研究をもっぱらその役割としていたが、満州国建国後は「経済調査会」と改組され、 誕生間もない満州国政府に対し、経済政策を企画立案する「影の内閣」として満州国の政治にも大きな影響力 をもった。場所は、中山広場と三八広場を結ぶ魯迅路沿い。現在の中国鉄路瀋陽鉄路局大連分局。
満蒙資源館
満蒙資源館は、広大な満州・蒙古地域を手に入れた日本が、その豊富な資源の存在を内外に誇示・宣伝するために つくったもの。もとは、ツアーロシア時代の大連市庁舎だった建物で、当時、満蒙各地域から集められた地質鉱産物や 動植物など数万点にのぼる標本が展示収集蔵されていた。大連駅の北側。現在の大連自然博物館。
星ケ浦海岸
渤海に面した美しい海岸で、大連きってのリゾート地として当時の日本人に親しまれていた。 なかでも 白い砂浜がなだらかな弧を描いて広がる星が浦海岸は、 海水浴のメッカとして大勢の行楽客でにぎわった。現在、 この付近は星海公園と改称され、昔と変わらず今も大勢の行楽客でにぎわっている。市の南西郊外5キロの黄海沿岸。
大連大和ホテル
満鉄経営の高級ホテル、大連ヤマトホテル。「満州国」の表玄関大連を代表するホテルとして、 政府関係者から一般人まで多くの旅行者が利用した。現在は大連賓館と改称されたが、その外観は今 も往時の姿を伝えている。駅から徒歩10分、街の中心、中山広場に面している。
金璧東旧居
粛親王家の第7王子で第2次満蒙独立運動にも参加した金璧東(のちの黒龍江省長、新京市長)が住んでいた邸宅。現在は、 星海賓館として使われている。星海公園の近く。黒石露西村61号。
旅順
旅順大和ホテル
1931年11月18日、関東軍の手引きで天津を脱出した廃帝溥儀は、営口から湯崗子温泉を経て、 旅順のヤマトホテルにいったん腰を落ち着けた。翌年2月、関東軍参謀板垣征四郎大佐がここを訪ねてきて、 溥儀に面会。正式に満州国への参加を要請したが、このさい皇帝の椅子を与えられるものとばかり思っていた 溥儀は皇帝ではなく執政という条件を聞いて激怒したといわれる。旅順駅の西側市街。かつての鎮遠町にあった。
瀋陽
張作霖爆殺現場
蒋介石の北伐軍に追われ、北京から奉天(現在の瀋陽)へひきあげる張作霖が、列車ごと爆殺された場所。 1928年6月に起こった事件で、日本側は当初これを中国軍のしわざとしたが、のちに関東軍参謀の河本大作大佐が計画し、 実行したことが明らかとなった。重傷を負った張作霖は、治療のため病院へ運ばれたが、 途中で死亡した。張作霖のあとをついだ息子の張学良は、この事件をきっかけに反日強硬姿勢へと転じ、 やがて満州事変という日中両軍の全面衝突を引き起こすことになった。場所は、京哈線が立体交差しているところで、 瀋陽北駅と皇姑屯駅の間。近くに記念碑が建っている。5路バスで皇寺広場下車。その後、 撫順路を線路に沿って徒歩15分ほど。
柳条湖事件跡
満州事変の直接のきっかけとなった柳条湖事件の発生現場。1931年9月18日夜、瀋陽駐屯の 独立守備隊の河本末守中尉らは、ここで満鉄線をねらって爆薬に点火。これを中国軍のしわざとし「満州」武力占領の 口実をつくりだした。「満州国」時代、日本側によって記念碑が建てられていたが、戦後、 中国側によって倒された。現在、その碑は「九・一八残暦碑」となっており、近くの望花街に 「九・一八事変陳列館」が設けられている。現在、現場付近には中国側による「九・一八残暦碑」と 記念館が新しく建立され、一般に公開している。市の北郊、于洪区の柳条湖にある。崇山東路と 望花街の立体交差の北側。北陵公園から213路のバスで「化工廠」下車。
九・一八歴史博物館(暦本碑)
(写真提供:ハシムの世界史への旅)
●九・一八歴史博物館公式サイト(中国語)
張氏帥府
奉天軍閥張作霖、張学良父子の邸宅。3階建てのロマネスク風建築で、その豪勢な外観からは、当時の権勢の大きさと一族の贅沢な生活ぶりがしのばれる。張作霖死後は息子の張学良の所有となり、その名をとって通称「少帥楼」と呼ばれていた。1931年、満州事変によって張学良軍が関内へおわれると、関東軍が接収、満州国時代は国立奉天図書館として使われていた。現在は、張学良旧居陳列館として観光客に一般公開されている。場所は、旧城内、瀋陽故宮の南側。

張氏帥府
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張氏帥府(大青楼) |
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満鉄鉄路総局
満鉄が所有する鉄道路線は、満州国建国後、満州国政府の所有となり、満鉄はその委託を受けて経営するという形になった。それにともない1933年、奉天に鉄路総局が設置され、鉄道経営の中心は大連から奉天へと移った。街の中心地、中山広場にある。現在の中国鉄路瀋陽鉄路局。
奉天大和ホテル
奉天ヤマトホテルは、満鉄が経営していた高級ホテルで、当時、関東軍の要人をはじめ日満政府関係者がよく利用した。新中国成立後、遼寧賓館と改称されたが、その外観から内装にいたるまで今も往時の面影をそのまま残している。街の中心地、中山広場に面している。
瀋陽鉄道蒸気機関車陳列館
解放以前、中国大陸を走っていた蒸気機関車を集めたユニークな鉄道博物館。展示品のなかには、満州国時代に活躍した特急「あじあ号」(機種名パシナ)の姿も見える。あじあ号は、最高速度110キロという当時世界でも最高クラスの速度を誇る蒸気機関車で、その流線型のスマートなデザインとともに新生「満州国」のシンボルとされていた。瀋陽の南郊、蘇家屯。交通は、瀋陽駅前から327路のバスで大官房下車。
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