北京
蘆溝橋
北京の西南郊外、永定河にかかる石造りの橋。かつてマルコポーロが「世界一美しい橋」と旅行記のなかで紹介 したことから別名マルコポーロブリッジとも呼ばれる。1937年7月7日夜、この付近で発生した謎の発砲事件が その後8年にわたる日中戦争の導火線となった。日本軍が演習していたのは、蘆溝橋からみて京漢線の 向こう側の永定河の東岸。現在、橋のたもとに「蘆溝橋資料陳列館」があり、七・七事変当時の中国側の 宋哲元将軍の指揮刀や日本軍の軍刀や砲弾などの遺品が展示されている。市の西南郊外にある。長椿街から 309路のバスで蘆溝橋下車。
一文字山
1937年7月7日、夜間演習中に発砲を受けた日本軍は翌日朝ただちに近くの一文字山を占拠した。ところが この後、再び3発の銃弾が宛平県城内から飛んできた。これに対し、北京の牟田口連隊長は「撃たれたら撃ち返せ」と命令。 ここに日中両軍による本格的な衝突が始まった。戦争中、「支那事変発端之碑」が建立されていた。宛平県の東方、 京漢線蘆溝橋駅の南側。
中国人民抗日戦争紀念館
蘆溝橋事件発生50周年を記念して1987年に建てられた歴史記念館。抗日戦争に関する資料や写真が 数多く展示されている。なかでも事変の状況を伝える復元画は、リアルで一見の価値あり。その他、 目を引くのは南京攻略の途上、2人の日本軍将校によって争われたという「百人斬り競争」を 紹介した当時の新聞記事。記事は日本側のものだが、そのなかで2人は英雄扱いされており、 あらためて戦争の狂気と悲惨さを思い知らされる。北京西南郊、蘆溝橋のたもとにある。 長椿街から309路のバスで蘆溝橋下車。
広安門事件跡
広安門事件は、1937年7月26日、居留民保護の名目で北京へやってきた日本軍が、城内へ入ろうとしたさい、 城壁の上から中国兵がいきなり機関銃の掃射を加えてきた事件。前日に発生した廊坊事件とともに日中全面衝突を 不可避とした事件。北京の西南、広安門駅の付近。
順義県
焦荘店地下道戦遺跡記念館
抗日戦争中、中国民衆は村落の地下に秘密の通路をはりめぐらし、侵攻してくる日本軍にゲリラ戦で 対抗した。こうした地下道は当時、中国各地につくられたが、ここもそのうちのひとつ。現在、 戦跡として保存されており、併設された記念館とともに一般公開されている。焦荘店の地下道は、 全長11、5kmあまりで縦横に交錯し、そのうちのいくつかは、近隣の村々にまで通じていたという。 出入口は、オンドルの上やかまどの下、さらに臼の下や馬小屋の中などに目立たぬよう 巧妙につくられ、地下道内には敵を攻撃する銃眼や砲台をはじめ、監視所や休憩室、 さらに落し穴などがもうけられていた。記念館には、当時、住民が地下道を掘るのに 使ったスコップやつるはし、戦闘用の武器などが展示されている。また地下道は改修され、 参観者が内部に入って見学できるようになっている。北京市の東北郊外、順義県の焦荘店にある。 京承線または京通線順義駅から焦荘店行きバスに乗り、終点下車。