毛沢東
中国共産党の最高指導者。
「農村から都市を包囲する」という独特の
革命理論をうち立て、中国革命を成功に導く。
革命家、戦略家、政治家、詩人、哲学者。中国革命の最高指導者にして最大の功労者。1893年、湖南省湘潭県の中農の出身。8歳から13歳まで村の私塾で学び、以後いくつかの学校を転々とした。辛亥革命の際、17歳で革命軍に参加し、19歳の時、湖南省立第1師範学校に入学。ここで理想主義の学者楊昌済の薫陶を受け、社会改革の道を志した。級友の蔡和森らと急進的な学生団体新民学会を組織したのもこのころである。卒業後、北京に出て北京大学教授の李大ショウからマルクス主義を学んだ毛沢東は、ただちに熱烈な共産主義者となり、1919年、五四運動が起こると湖南省で反軍閥闘争を指導、本格的な革命家としての活動を始めた。
21年、上海での中国共産党創立大会には湖南代表として参加。のちに国共合作が成立すると、国民党の中央委員会候補委員にも選ばれた。その後、もっぱら農民運動に注力。中国南部の農民を組織し、北伐軍を受け入れる基盤をつくった。27年の国共分裂後は、湖南省で秋収暴動を起こしたが、失敗、井崗山にこもってゲリラ闘争を開始した。1934年、長征が始まると、途中、党の指導権を奪取、以後、中国共産党の最高指導者としての地位を確立した。抗日戦争中は、『持久戦論』、『新民主主義論』などを執筆し、中国革命全般にわたる戦略立案と指導にあたった。
45年、日本が敗退すると、国民党の蒋介石と重慶で和平会談をもったが、決裂。その後の内戦では、朱徳とともに人民解放軍を指揮、国民党を台湾に追い落とし、ついに最終的な勝利へと導いた。
新中国成立後は、国家主席に就任。だが、経済建設が思うように進まず、党内対立が激化。一時、その責任をとり、政治の表舞台から身を引いたものの1966年、再び権力を取り戻そうと文化大革命を発動、以後10年にわたって中国全土を未曾有の混乱に陥れた。1976年、死去。